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リティママ の日々徒然

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2015年 08月 24日

日之影町にも瀬織津姫神が・・・いたぁ~(^^♪

 宮崎県北では水神を妙見と呼び、妙見社は水の神を祀っている、という考え方が一般的だといえます。
 これは、高千穂に古くからあった龍蛇信仰との結びつきから考えると不思議なことではないようにおもえますが、そこには霊峰祖母嶽に関連する修験の力も大きかったのではないかと想像します。
 もともと高千穂にあった山岳信仰(祖母嶽信仰・大白山信仰)に、熊野から入った熊野信仰が被さったことに起因するといえなくもないでしょう

 妙見信仰は北斗信仰に端を発するもので、北斗祭が鎌倉時代に盛んになったのと同時期に妙見社の出現を見ました。
 この妙見信仰の中に、七体妙見から発展した(と考えられている)四十九体妙見(あるいは妙現)というものがあります。高千穂十社大明神大宮司田尻物部系図には、「四十九体妙見即ち『瀬織津姫神』是也」とあり、早い時期の高千穂郷でも妙見信仰の浸透を見ることができ、妙見神としての瀬織津姫神の存在が明確に記されています。
 さらに、高千穂惣鎮守十社大明神縁起巻・富高主馬頭(七折富高右大臣家系図)記に、高千穂峡「玉垂の滝」そばに、かつて「四十九体妙見社」または「瀬織津姫社」といわれる御宮があり、祭神は瀬織津姫命なりと明記されております。
 そして、高千穂神社六月の祓い御遊行したまう社なり。の文言が続きます。

 このお社は「栃川妙見社」、「櫻川妙見社」、「御塩井大明神」と呼び名を異にしますが、いずれも同じお社のことです。
 その御祭神は『祭神瀬織津姫命』でした。
 これらの、四十九体妙見社=瀬織津姫社=栃川妙見社=櫻川妙見社=御塩井大明神とは、現在のおのころ池の真ん中にぽつんとある石の祠をさしております。かつてのお社は池のほとり(現お土産やさん辺り)にあったのだそうです。

 高千穂郷八十八社に現社名の「一水(いちのみず)神社」があります。
 古くは『四十九体(躰)妙見(現)社』の社名を持ち、御祭神は瀬織津姫神でした(高千穂惣鎮守十社大明神縁起富高右大臣家系図)。
 現御祭神は、水速女命・菅原道真公です。鎮座地は、宮崎県西臼杵郡日之影町七折です。

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 由緒は、
―― 七折村郷土誌よると「勧請年月日を詳らかにせざれども、古老伝には村中申し合わせ雷除のため寛永年中に祭立せしと申伝ふ」とある。 ――  と日之影町史には記されています。

 ―― 舊稱「天満宮」といい、明治四年に現社名に改稱された。その昔、三毛入野命が鬼八退治の時、路傍の清水を掬って飲まれたところ、「珍」なり「一ノ水」と言われたことにより、この地名が起きたと云う。―― 高千穂郷八十八社名録より(註:高ははしご高が正式な漢字です)

 地名の由来となった遊水地には、慶應三卯年(一八六七)八月二十六日建立の祠があります。
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 余談ですが、現存する高千穂神社関連の書物には、この四十九体妙見社=瀬織津姫社=栃川妙見社=櫻川妙見社にのみ宮司(大宮司)が常駐していたことが記されています。
 さらには、天明二年に高千穂十社大宮司によって書かれた十社榊山記には、「高千穂皇大神は、祖母嶽の御女稲穂命と伝える特殊神の御女にまします」という文言の後に、眞名井三女神は大和の国大三輪社の天神の祝詞十種神寶とは伴に合わせ考えるべく、これ皆次記の三神と同系にまします。
 ○撞賢木厳之御霊天疎向津媛命
 ○事代主神
 ○表筒男・中筒男・底筒男
とあることは、とても興味深いことです。

 撞賢木厳之御霊天疎向津媛命
瀬織津姫神の別名です。
「つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと」とよみます。



 妙見信仰ですが、その根本は、『太上感応篇』の「鑑察章第三」にある記述に見ることができるのではないかとおもいます。
――(引用)― 「又有三台北斗神君、在人頭上、録人罪悪、奪其紀算。又有三尸神、在人身中、毎到庚申日、輙上詣天曹、 言人罪過、月晦之日、竈神亦然。凡人有過、大則奪紀、小則奪算。」 ――

 これを読みくだしてみますと、次のようになろうかと思います。

また三台北斗神君は人の頭上に在り、人の罪悪を記録し、その紀算を奪う。
また三尸神は、庚申日に到るごとに天曹(現世での善悪を管理する天の官職)にて、人の罪過を言う。
晦日には竈神も然り。人に罪過がありそれが大きければ紀を奪い、小さければ算を奪う。

 「三台神君」は金玉・禄位・土田を、「北斗神君」は延生をつかさどり、人の死や禍、福を明らかにするといわれています。
  「三尸神」とは「上尸神」を彭倨といい人の脳に、「中尸神」は彭質といい人の胸に、「下尸神」は彭嬌といい人の腹部に分居するといいます。
  「竈神」はかまどの神で灶神とも称します。
 三尸神とは別に、月毎のつごもりにその家の罪過を検挙し、天に上告するのだそうです。

 『太上感応篇』の感応とは因果応報の意味で、天地の間に司過の神がおり、過を犯すと生命を縮め、功をなせばその逆になると説いている、といわれています。

 七星の七つの変化神が七体妙見と考えれば、高知県に主にもえる三体妙見は、北斗の付属の三公星だともいえるので、北辰の三身とされるのでは・・・とは、妙見信仰に詳しい郷土史家の方のお言葉です。
 さらに、様々な考え方が混同し、それらが混一して「七」という数になり、そこから「四十九体」といわれるようになったのであろう。とも言われていました。

 太上感応篇に(高千穂町の)妙見信仰の所以の一端をみるならば、かつての「四十九体妙見社=瀬織津姫社」として、高千穂町の現在の御塩井大明神に、七体妙見からの発展形「四十九体妙見神」として、禊ぎ祓いの女神であり三途の川の脱衣婆もいわれる瀬織津姫の神名があったことも不思議ではないような気もします。
 
 高千穂町におおにして見受けられる「山の神」と「水の神」の異名同体的な神祀りは、はるかな祖先たちが狩猟と農耕の混交により生み出した生活様式の中で、特殊な形を持った信仰が生まれたことにあるのでは、と推測します。
 つまり、御神木(神が憑依しているというよりは、よりどころの意)が在る処が水源の山である場合(水源涵養林)、その山自体が水神のよりどころとも見なされ、山の神と水の神がその場所(森)に同時に存在するという考え方が生まれたのではないかとおもうのです。
 また、山の神は「天神さん」として人々に親しまれていることもこの高千穂郷の特徴であります。
町内のいくつもの集落に入り込んでみると、天神さんのお社のそばには小さな湧水池があったり、大木の根元から水が湧いていたり、水神の碑があったりします。

一水神社も、天神さんとして地域の中に定着し、地元の方々の純粋な信仰心を育んでいる処のようにおもいます。

by rithinomama | 2015-08-24 22:43 | 神社・仏閣


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